森田香央里が考察する芸能人の今後と秘策

Webマーケティングコンサルティングを行っているアシストマーケティング代表取締役社長、森田香央里さんはテレビとYouTubeの関係性に大いに注目しているとともに、芸能事務所と芸能人の契約の在り方や好感度などについて色々な考えを持つようになりました。

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以前の芸能界は契約がモノを言うことが多く、いわゆる奴隷契約が結ばれ、自由な活動ができず、独立しようものなら干される時期がありました。Webマーケティングなどを手掛けるアシストマーケティング代表取締役社長、森田香央里さんは、こうした芸能界の流れに関して不思議に思ったことが多かったようです。

特にWebマーケティングを手掛けている関係で、近年芸能人たちがこぞってYouTubeに参入し、YouTuberとしてデビューしている状況に注目しています。ここ数年で芸能人と芸能事務所の関係が大きく変わっていることにも森田香央里さんは関心を示しています。

実はテレビとYouTubeは変わらない?!

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近年になって芸能人がYouTuberになり、YouTubeでお金を稼ぐ状況が続いています。
特に地上波テレビで見かけることが少なくなった大物芸能人がこぞって参加し、昔ながらのテレビをYouTubeで再現して、喝采を浴びている姿に、森田香央里さんは疑問を覚えているのだとか。

一見すると芸能界にとって喜ばしいことに見えますが、テレビもYouTubeも実際、同じようなものという考えが森田香央里さんにあります。その理由はコンプライアンスにあります。

近年コンプライアンス強化が叫ばれ、常識から外れているような言動に対しては厳しい目が向けられ、それを嫌ってYouTubeに流れてくる人が少なくありません。
しかし、YouTubeの世界もまたコンプライアンスには厳しく、YouTubeがまだ有名ではなかった2000年代後半において、既にある程度厳しめのコンプライアンスが出来上がっており、何年も遅れてテレビ業界にその水準に達しようとしています。
つまり、コンプライアンスの観点で出遅れていたテレビ業界から既に厳しいコンプライアンスの中で動画投稿を行うYouTubeの世界に行くわけですから、やりたいことがYouTubeでもできない可能性は十分考えられます。
中には、動画投稿をしても過激すぎて広告がつかなかったケースも出てくるため、想像していたものとは違う展開になるのではないかと森田香央里さんは考えています。

YouTubeに出来てテレビに出来ないこと

YouTubeで成功を収めている芸能人の動画の多くは、基本的にコンプライアンスとは無縁のものが多く、テレビという箱の中で放送したとしても問題なさそうなものばかりです。
しかし、YouTubeでは成立するけどテレビでは成立しないという動画がほとんどで、テレビで流したものをYouTubeで流したら100万再生を達成できるかどうかもまた微妙なところです。

最近のテレビは情報がなければ全く相手にされず、お得情報が一切ない番組を作っても何ら関心を持たれない傾向にありますが、YouTubeの場合はお得情報がなかったとしても、内容が面白ければ見てくれます。
少なくとも同じような番組ばかりで面白くないと視聴者から辛辣なことは言われなくなるはずです。
森田香央里さんが考えたのは、一生懸命内容を吟味して、限られた環境で高い質の動画を出せる人物がYouTubeで生き残るということです。

たとえ地上波に呼ばれなくても、YouTubeで結果を残し続ければいいわけです。そこには情報もなければ、ただただわちゃわちゃしている、仲良さげな雰囲気を醸し出すだけの動画しかなかったとしても、見てくれる人は見てくれます。
もっと言えば、激しいやり取りよりもみんな仲良さそうに、愛情を感じさせるものであれば、見ている人はそれで充分であると森田香央里さんは感じています。

自分でコントロールできればフリーで活動できる

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森田香央里さんが推察するに、YouTubeなどの媒体が登場したことで、芸能事務所の立場は弱く、少なくとも事務所とタレントが対等な立場になったと考えています。
地上波しかなかった時代、事務所が圧力をかければそのタレントは地上波から干されて仕事になりませんでした。しかし、YouTubeがあると、わざわざアメリカの本社や日本法人に対して圧力をかけるわけにはいかず、かけても突っぱねられるでしょう。
その人にパワーがあれば、十分稼ぐことができるのです。
もちろんその逆もあり、芸能事務所に力があっただけで本人に全く力がなければ、大した結果を出せずに終わります。YouTubeは良くも悪くもシンプルで、ストレートに結果が出る分、うまくいく人もいればいかなくなる人もいるのです。

森田香央里さんが考えるに、今後芸能界で活躍できる人は事務所とは関係なく、自分自身でコントロールができ、客観的なモノの見方ができる人です。
常に踊らされ、事務所の力によってテレビに出られていた人が事務所を飛び出してもうまくはいかないでしょう。
逆に、自力で動画作成に挑み、結果を出せる人はフリーランスになったとしても順調に前を向いて活動できると森田香央里さんは確信を持っています。

仕事を引き受けるかどうかの判断だけが重要に

芸能事務所に頼らず、自分だけで活動していくにあたり、一番必要なスキルとは何か、森田香央里さんは、仕事を引き受けるかどうかの判断が行えるかどうかにかかっていると考えています。

YouTubeの企業案件で、一流企業が企業案件をYouTuberに持ちかけるケースは非常に限られており、ちょっとした有名人ですらあまり聞いたことがないベンチャー企業の企業案件を引き受けるケースがあります。
事務所に入っている場合、そのベンチャー企業が反社会的勢力と関係するところかどうかの見極めをしてくれますが、フリーランスなどの場合はその判断を自ら行わなければなりません。

何でもかんでも引き受けて、その中に反社会的勢力とかかわりのある企業が混じっていれば最悪です。
YouTubeでも活躍の場を失い、表舞台から姿を消さざるを得ないばかりか、他のYouTuberからダシにされてしまう可能性すらあります。森田香央里さんはそこの判断ができる人が生き残り、できない人は誰かに委託しないと生き残ることは難しいと考えます。

まとめ

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森田香央里さんはマーケティングを行い、会社の社長として様々なケースを見てきましたが、芸能人は基本的に守られており、何も知らない人がほとんど。
そして、芸能人が自ら動画編集を行い、動画を世に送り出しているケースは少なく、信頼できる人物に任せているケースが多いと分析します。1つのチームを作ってYouTubeに挑むのが今後のあるべき姿ではないかと森田香央里さんは考えます。

テレビの世界だと、1つのチームで臨むのは色々と難しく、限界も出てきます。
好きなことがやれる分、自分の価値観や人生観を下手すれば全否定されかねないのもYouTubeの怖いところであり、今後どんなトレンドを芸能人たちが持ち込むかに森田香央里さんは注目しています。

 

あえば直道、裸一貫からのスタートと保守主義?詳しくご紹介します。

2020年に行われたアメリカ大統領選挙は、投開票日から1か月が経過してもなかなか勝者が確定せず、陰謀論が飛び交うような状況にあります。特にトランプ陣営の抵抗は凄まじいものがあり、一筋縄ではいかないムードが出ている状況です。そんな中で、この状況を一生懸命解説しているのが一般社団法人JCUのあえば直道さんです。

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世界の警察と呼ばれるアメリカの動向は、全世界が注目します。
特に4年に1度のアメリカ大統領選挙は、日本でもトップニュースとして扱われるなど、全世界のトップニュースになりえる話題です。

そんな2020年のアメリカ大統領選挙は、票の開き方に疑わしいものがあると異論を唱えた人々が多かったことで、なかなか決着しませんでした。しかし、明らかにバイデン候補の票が多いことが明らかになるにつれ、敗北宣言こそしなかったものの、トランプ大統領は静かにホワイトハウスを去っていきます。
こうしたトランプ大統領の政治を最前線で見続けてきたのがあえば直道さんです。

あえば直道さんは政治評論家として長く活動をし続け、ついにはトランプ大統領とツーショット写真を撮るまでに至ります。一般社団法人JCUを立ち上げ、草の根保守主義の浸透を目指すあえば直道さんの活動に迫っていきたいと思います。

裸一貫でアメリカに渡る

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アメリカで活動し、共和党のパーティーに呼ばれ、保守主義のイベントでは多くの人たちを前にしてスピーチを行っているあえば直道さんですが、その活動は2010年から行われています。
しかし、あえば直道さんは最初からアメリカで活躍していたわけではありませんでした。

そもそもあえば直道さんはアメリカに知り合いがいたわけでもなければ、人脈のつながりがあったわけでもなかったからです。しかも、2010年に渡米した段階では、英語すらあまり話せなかったというから驚きです。
ではなぜアメリカで政治評論家として活動することになったのかは定かではなく、あえば直道さんのみが知る話となっています。

一見すると無謀な挑戦に見えますが、あえば直道さんにとってこうした無謀に見える挑戦は決して無謀なのではなく、幼少期から色々な逆境を克服してきた成功体験も相まって、使命に燃えていたことは明らかです。
こうした考え方はあえば直道さんの父親からの刺激に感化された部分もあったようです。そして、日本政治を良くしたい思いもあったことでしょう。

イチから人脈つくりに勤しむ

2010年に渡米して英会話から始めたあえば直道さんでしたが、わずかながらにいたアメリカにいる知り合いにお願いし、アメリカ政治のイベントなどに参加することに。
あえば直道さんが参加したのは、ティーパーティーと呼ばれる、草の根保守主義を行い、アメリカに新たな保守の形を見せていこうとした人たちのパーティーです。こうしたイベントで主に共和党関係者との人脈つくりに勤しむようになります。

時を同じくして、日本では東日本大震災が発生してしまいました。あえば直道さんからすれば、祖国が未曾有の大災害に巻き込まれ心を痛めていたはずです。アメリカでは米軍が日本に行き、トモダチ作戦を敢行、仙台空港の再整備など様々なことに尽力していたことへの感謝の気持ちを伝えたいと、あえば直道さんは考えるようになります。

渡米直後には英語のスキルはほとんどなかった中で、自分が話せる最大限のスピーチを共和党関係者の前でぶつけ、心からのお礼を行います。この姿に多くの共和党関係者が感激し、結果的に共和党とのパイプが生まれることになります。
そして、渡米から2年後の2012年、あえば直道さんはアジアエリアの共和党顧問というポジションをつかみます。使命に燃えたあえば直道さんらしい、大きな一歩です。

あえば直道さんはトランプ躍進を早々に言い当てる

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あえば直道さんの名前は日本ではあまり知られておらず、トランプ大統領が当選した当時、当選前からトランプ大統領の躍進を言い当てていた人として日本メディアの注目を集めることになります。
政治評論家としてかなりの大仕事であるとともに、トランプ大統領誕生の可能性が高いことを、トランプ候補が泡まつ候補とされていた時期から言い続けていました。
なぜあえば直道さんはトランプ大統領誕生の可能性が非常に高いことを感じ取ることができたのか、そこにはあえば直道さんらしく、現場で大統領候補者たちのスピーチを見続けてきたことも背景にあるようです。

トランプ氏がスピーチを行えば割れんばかりの拍手が巻き起こり、そこらじゅうで熱狂の渦ができているというのです。他の候補者たちはそのような感じにはならず、トランプ氏ほどの熱狂は生み出されていませんでした。
この熱狂が続けばムーブメントにつながるとあえば直道さんは考えました。

こうして最初に執筆した本が「トランプ革命」です。トランプ革命という本はトランプ氏がいかにすごい人物で、当選したらどんなことが巻き起こり、日本にどんな影響を与えるかを示しています。

あえば直道さんはこの後にクリントン氏に疑問を投げかける本を執筆するなど、トランプ氏当選をこの時には信じて疑わない状態になります。そして、この時からメディアにも呼ばれるようになり、最終的にトランプ大統領が誕生します。
あえば直道さんは、日本でも優秀な政治評論家として取り上げられるようになるなど、注目を集めだすことになるのです。

あえば直道さんが立ち上げた一般社団法人JCU

トランプ氏が当選したことで、草の根保守主義を掲げて活動してきたあえば直道さんにとってはまさに願ったりかなったりの状況でした。トランプ氏は草の根保守主義によって多くの人々に支えられ、多くの人々の支援によって誕生した大統領で、特権階級の人々が先導して誕生した政権ではありません。

国民を置き去りにし、エリートのみで政治を行ってきたことに対する群衆の怒りがトランプ氏を大統領に押し上げたのです。一般社団法人JCUを立ち上げることになり、あえば直道さんは一貫して草の根保守主義を日本に浸透させていく活動を続けています。

それを現実のモノにしたのがJ-CPACです。元々アメリカではCPACという保守系イベントを開催し、主に共和党の人々を中心とした集まりを行い、そこにはあえば直道さんの姿もありました。
このイベントを日本でもやりたいとあえば直道さんは考えるようになります。2017年に行ったイベントでは、トランプ氏のブレーンとして活躍していたスティーブ・バノン氏が日本に登場、世間の度肝を抜きました。

日本とアメリカ、そして海外の保守主義者たちを集めたイベントはとても刺激的で多くの人々に夢や希望を与えることになります。

まとめ

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あえば直道さんの挑戦はまさにゼロスタートで、当初訝しげにあえば直道さんの活動を見てきた人も多かったでしょう。
こうした人たちの目をはねのけて、やるべきことをやり続けたのがあえば直道さんです。

トランプ大統領が敗れたことであえば直道さんが思い描く草の根保守主義の構想はいったん後退を余儀なくされます。とはいえ、草の根保守主義の敗北があったわけではなく、ここはふるいにかけてより地盤を固めることが重要だったのかもしれません。

2021年からの4年間で草の根保守主義の浸透がどこまで進むのか、あえば直道さんの正念場と言えるでしょう。

 

 

 

 

元祖どないや社長、藤末雅彦が見据える経営ビジョンとは?経営のノウハウなど詳しくご紹介。

令和の時代に入り、毎月決まったお金を出せば一定のサービスが受けられる、いわゆるサブスクリプションサービスが当たり前のように展開されています。

自動販売機でも毎月一定の料金を支払えば、自販機の飲み物を毎日1本無料で飲めるなど、サブスクリプションサービスはより進化を遂げています。
中には少々変わったサブスクもありますが、その中で2020年にたこ焼きのサブスクを始めたのが元祖どないや。

2021年9月に入って、「たこ焼き サブスク」で調べてみると、元祖どないや関連のページが独占しています。つまり、たこ焼き業界で現状元祖どないやだけがサブスクを行っているというわけです。そんな元祖どないやを率いる藤末雅彦さんの考え方、目の付け所は他の人とは違うようです。

ADGEXと書いてアドジックスと読む

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たこ焼きのサブスクを始め、たこ焼きが1舟無料で食べられるサービスを始めた元祖どないや。
この元祖どないやを運営するのが株式会社アドジックス。英語表記ではADGEXと書きますが、元々は英語の一文を略したものを使っています。

ADGEXを略さずに書くと、「ambition development grow expand」となっており、とある翻訳サイトで訳してみると、「野心的な発展は拡大する」という意味になります。
藤末雅彦さんにとってアドジックスでの仕事は野心的な発展を意味しており、元祖どないやの仕事はその中の1つであると判断できます。ここからご紹介するのは藤末雅彦さんが会社に対してどんな気持ちを抱き、起業に至ったかについてです。

藤末雅彦さんはアドジックスに何を託したのか

藤末雅彦が代表取締役社長を務める株式会社アドジックスのホームページでは、様々なページがあります。その中に「ご挨拶」というページがあります。ページを開くと、「アドジックスの想いはただ1つ!」と書かれ、「共に歩む心!!」と書いてあります。

その下に続く項目として「クライアント様と共に成長していく、それがアドジックス」と書かれています。そのココロとして、アドジックスが多くのクライアントに信頼してもらうために、困難な課題を一緒に乗り越えていき、一緒に成長できればいいという姿勢が表現されています。
こうした気持ちを株式会社アドジックスでは「アドジックス魂」と表現し、クライアントのために頑張ることを誓っています。共に歩むという姿勢はクライアントと一緒に歩んでいくというのを意味していると思われます。

藤末雅彦さんのスタートラインの事業とは

ホテルの清掃や飲食なども手掛ける株式会社アドジックスですが、やはり目玉の事業となると、元祖どないやの運営になるでしょう。
大阪出身の藤末雅彦さんにとって、たこ焼き屋をオープンするのは夢のようなものだったと考えられます。そして、舌の肥えた大阪府民、関西の人々に対して下手なものは提供できないという気持ちもあったはずです。

元祖とないやのホームページでは、「『食』とは『身体』と『心』を豊かにするモノ」と書かれており、「徹底的にこだわり続け、妥協を許さず本物の味を提供し続けるそんな企業であること」を目指すと書いています。
その象徴となっているのが、たこ焼きの味へのこだわりです。素材にこだわるのはもちろんのこと、何もかけずにそのまま食べてもおいしいと思ってもらえるたこ焼きを目指そうとしています。

藤末雅彦さんがとてもユニークなのは、一見すると信じがたいような手法も取り入れて、おいしいたこ焼きを提供しようとする点です。
元祖どないやではたこ焼きの素になる粉も自作していますが、その粉を作る過程において、漫才などを聞かせているのだとか。「『食』とは『身体』と『心』を豊かにするモノ」を地で行くスタイルであり、こうした姿勢に多くの従業員が追随していくのかもしれません。

過去にあったうれしいサプライズ

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元祖どないやでは、利用客を喜ばせるサプライズを多く展開してきました。2007年にスタートした元祖どないやが創業10周年を迎えた際には、「10周年記念大感謝祭」と称し、サンリオのペアチケットを、なんと5000組10000名にプレゼントしています。

数千万円単位の大盤振る舞いであり、対象となるのは、元祖どないやの商品を購入した人全員。1人1回の応募という制限こそありましたが、それがより当選確率を高めさせることにつながっており、多くの人がこぞって参加するに至ります。
他にも元祖どないやでは、企業とのタイアップなどを行っていますが、藤末雅彦さんの経営者としての判断がそのようにさせたと言えます。

藤末雅彦さんの挑戦は異業種へも広がる

元祖どないやで一定の成功を見せている藤末雅彦さんですが、ホテルに関する仕事についてもご紹介します。
ホテルにおいても飲食事業を展開しており、アパホテルなどで出される食事などを手掛けています。
株式会社アドジックスがどこの店舗を受け持っているか、そのリストは出ていませんが、アパホテル東梅田 南森町駅前という店舗に入っているレストランでは、朝食ビュッフェを展開するなど多くのビジネス客においしい食事を提供しています。

ホテルの清掃事業も手掛けており、こちらはホテルの館内を常に清潔に保つ仕事を担っています。
こちらもアパホテルなどで業務を行っており、評判は上々です。
清掃事業に関しては、お客様目線でしっかりと作業できる従業員を揃えていると書いており、お客様ファーストで仕事に取り組んでいることがうかがえます。
ホテルの接客といえばホテル側が行うものであり、外部の企業には関係ない部分かもしれませんが、藤末雅彦さんは、株式会社アドジックスもお客様へのおもてなしをかかせないという姿勢を見せています。

共に歩む心は浸透している

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このように株式会社アドジックスでは飲食業とホテル関係の仕事を手掛けています。また自らが運営するのではなく、株式会社アドジックスが監修をするたこ焼き屋が高速道路のサービスエリアで展開されています。
飲食業もホテル業も2020年から断続的に続いている新型コロナウイルスの影響をモロに受けており、お酒の提供も行う店舗がある元祖どないやは大変な状況と言えます。
しかし、たこ焼きのサブスクを含め、決して諦めず、決して後ろ向きにはならない姿勢、企業努力こそが株式会社アドジックスのすばらしい部分です。共に歩む心を忘れない姿勢は大変立派と言えるでしょう。

その甲斐もあってか、2021年に入ってから店舗の拡大を続けており、その勢いはまだまだ続いています。そして、企業とのタイアップなど様々な取り組みに邁進しているところからも分かる通り、まだまだ攻撃の手は緩めていません。
そして、ホテル業など色々な分野へ進出を果たし、着実に企業としての成長を続ける株式会社アドジックス、社長の藤末雅彦三の挑戦はまだまだ始まったばかりと言えるでしょう。

株式会社ゼンシン前田忠嗣

「指導者の成長そのものが子供たちの成長につながる」という考えで、教育事業を展開されている前田社長。すべての人がお互いを尊重し認め合う社会を形成し、障がい者も健常者も共生できる社会を実現するため、サッカープログラムや就労支援も行っていらっしゃいます。すべての人が自分らしく生活でき、それぞれの人がそれぞれのハピネスを見つけられるように、前田社長は今日も熱い想いで励まれています!

https://shacho-chips.com/shacho/t-maeda

 

東京オリンピックパラリンピックが無事に終わり、障害者がイキイキとスポーツに打ち込む姿に多くの人が感動しました。一方で障害者も健常者も一緒に連携して過ごせる社会を目指そうとする動きも出ています。サッカーを通じて障害者と健常者が一緒に手を取り合って生きていくことを目指しているのが株式会社ゼンシン、代表取締役の前田忠嗣さんです。

 

前田忠嗣さんの経歴

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前田忠嗣さんは、1969年10月29日生まれで現在52歳です。子どもの時から社長になりたいと思っていた前田忠嗣さん。実家が農家で、酪農学園大学に通いながらも、社長になりたいという夢をかなえるために家を継がず、学生時代に学習塾のアルバイトをしており、そこでの成績が認められ、そのまま学習塾の社員に。26歳の時に学習塾を開業すると、その直後あたりにサッカー熱が高まってきたため、サッカースクールを始めることを決めます。サッカースクールに人気が集まったことを受け、学習塾は諦め、サッカースクールに一本化。その時、障害を抱えた人物を雇用。身内に視覚障害を抱えた人はいたものの、その他の障害は全く詳しくなく、特に発達障害に関して、サッカースクールのカリキュラムを活用して子どもたちの療育につなげられないかと考え、普段小サッカースクールとは別に、発達障害の子を対象にしたスクール、放課後デイサービスを設置するなど、地域に根差した活動を行っています。

 

障害福祉事業を始めるきっかけ

1996年に学習塾、その数年後にサッカースクールを始めた前田忠嗣さんでしたが、障害福祉事業を始めたのはそれからかなり後のことでした。きっかけは東日本大震災。福島を中心に放射線量が高く、外で遊ぶことすらできなかったのです。これにより、会員は3分の1まで減少。何かすることはないかと考えた時、発達障害を抱えた子供たちの支援をしたいと考えるようになります。

 

2026年にIPOを目指す

株式会社ゼンシンは2026年をメドにIPOを目指し、資金調達などを行って規模拡大を図っていくことを考えているそうです。最近ではサッカー元日本代表の平山相太さんが参加するなど、株式会社ゼンシンはサッカーを通じた療育で知名度を上げていく状況です。発達障害に苦しむのは子どもだけでなく大人もそうで、生きにくさを感じながら生活する人も多いです。それを打破できるかどうか、前田忠嗣さんの活動にかかっています。

株式会社ハイウェル近藤太

会社のスローガン「挑戦するホッコリ集団」にもあるように、出会った人を「ホッコリ」させるような、面白く優しいお人柄の近藤社長。人材サービスから社歌制作など、会社の変わったブランディング方法をご提供していらっしゃいます。ちょっと変わった面白視点で相手を喜ばすことに挑戦し続けるとても素敵な社長さんです!

https://shacho-chips.com/shacho/f-kondo

 

企業の多くはもっともらしいスローガン、コンセプトを掲げ、お客様に全力投球!と言わんばかりの熱をぶつけてきます。そんな中、「挑戦するホッコリ集団」というよくわからないコンセプトを掲げる企業があります。それが株式会社ハイウェル、代表取締役社長は近藤太さんです。

 

近藤太さんの経歴

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近藤太さんは1974年1月9日生まれで現在47歳です。システム会社のエンジニアだった近藤太さん。学生時代にウィンドウズ95が大ヒット、インターネットが登場し、これからはITの時代だと感じ取り、システムエンジニアになります。キャリア志向が強かった近藤太さんは最初に入った会社を2年で辞め、その後外資系企業でコンサルティングを行います。そこからはベンチャー企業が多くなり、権限を与えてくれる会社がいいと思うようになります。しかし、転職を繰り返す中で自分に見合った会社はなく、もう誰も雇ってくれないんじゃないかと考え、それならば起業しようと会社を立ち上げます。

 

遊び心満載のハイウェル、社名も

よくわからないスローガンを始め、遊び心満載のハイウェル。その由来は会社がある高井戸を英語にするとハイウェルだったからという、脱力する内容となっています。挑戦するホッコリ集団に関しては、創業10年が経過し常に挑戦者でなければならないと考え、まず挑戦が。一方で営業会社のようにバンバン営業をかけるのも違うと感じ、挑戦とホッコリ集団をかけています。それぞれがホッコリを解釈すればそれでいいと考えており、社員がリラックスして働けるように、それでいて挑戦する気持ちを忘れないようにする配慮がとられています。

 

仕事はITのアウトソーシング

ハイウェルで今主力となっている事業はITのアウトソーシング。エンジニアの需要が根強くあり、リーマンショックがあっても致命的な落ち込みがなく、安定した供給が続いています。元々1人で事業を始めた時から人材アウトソーシングを行っており、現在に至るまで仕事が減ることもないのだとか。最初は奥さんと二人三脚で取り組みながら会社を大きくし、ユニークな戦略で仲間を増やしてきた近藤太さん。社員とのコミュニケーションの取り方がうまく、モチベーションをうまく引き出すやり方は現代に必要とされる社長像であり、今後に期待が持てます。

株式会社スマホスピタル泉谷政司

iPhone修理をはじめ、スマートフォンやゲーム機、タブレット端末まで取り扱っているスマホスピタル!現在、全国に約80店舗、修理実績は80万台以上という、圧倒的な実勢をお持ちです。「ボクらの立ち位置は、みなさんの生活に寄り添う街の診療所みたいなものです。」と話してくださった泉谷社長。これからも1人でも多くのお客様のトラブルに寄り添い、より多くの人のお困りごとを解決すべく、走り続けます!

https://shacho-chips.com/shacho/s-izutani

 

子どもも持つようになったスマートフォン。また持ち運びができるゲーム機、タブレットなど電子機器を当たり前のように持つ時代となっています。一方で最近多いのが故障や破損。うっかり手を滑らせて画面が粉々に。しかし、スマホ端末はローンで払っていて使えない、そんな時に頼りになるのが全国展開するスマホスピタルです。そのスマホスピタルを運営する株式会社スマホスピタルの代表取締役社長が泉谷政司さんです。

 

泉谷政司さんの経歴

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泉谷政司さんは、1979年4月17日生まれで現在43歳です。大阪学院大学を卒業した泉谷政司さんはその後大手の通信会社に入社、その後すぐに独立します。スマホに関する仕事を仕様と思ったのは2012年ごろ。スマホが登場し始め、スマホがなければ就活で乗り遅れると言われていた時代。いずれスマホは普及する、その時ニーズは間違いなく増えると感じ取ります。一方、壊れた時にお店に持ち込もうにも地方都市にはなく、何日か待たないといけないのは非常に面倒。街の診療所のようなところがあればいいのではないかと考え、スマホスピタルを立ち上げます。

 

1か月で3万件以上

スマホスピタルは全国に存在し、首都圏なら主要な駅には必ずあるような状況です。その結果、1か月の処理件数は実に3万件超え。キャパオーバーになりそうな数字ですが、これだけの数をこなせば熟練度も高まり、30分での画面修理はその賜物と言えます。新人が短刀をすることはあっても、1人で作業をさせないのがスマホスピタルのやり方で必ず先輩が近くにいます。近年修理をしたのに不具合が出やすいのはワンオペでやっているケースが多く、スマホスピタルであればその心配はありません。

 

登録修理業者制度

スマホスピタルでは、登録修理業者制度を利用しています。登録修理業者制度は、スマホの修理方法やパーツなど総務省によって安全性を認められた事業者の証です。修理がうまいことはもちろんのこと、パーツは品質のいいものを作っており、修理してすぐに壊れることを防いでいます。業者によっては登録修理業者制度を利用しておらず、品質の悪いサービスを展開することも。スマホスピタルはその心配がないので安心です。身近なサービスだからこそ、登録修理業者制度などに注意しておきたいところです。

西日本産業株式会社今村公榮

地場不動産として、50年にも渡り信頼されている西日本産業様。ここまでお客様と関係を築き上げてこられたのは、前職で法人営業をされていた今村社長がいらっしゃったからこそなんです。その時に培ったスキルを活かして、一気通貫ですべて任せられるスタイルを展開されています。お客様の満足度では、どこにも負けないサービスを提供し、「不動産コンシェルジュ日本一」になるべく、今村社長は今日も誠実に取り組んでいらっしゃいます!

https://shacho-chips.com/shacho/k-imamura

 

スポーツをやっていた人は困難な状況や苦しい状況でも決して投げ出さず、なんとか食らいつこうとします。そのため、ボートレースなど1年間まるで刑務所のような管理社会でもやっていくことができ、セカンドキャリアを成功させる人がスポーツマンに多いです。西日本産業株式会社の代表取締役社長である今村公榮さんもその1人です。

 

今村公榮さんの経歴

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今村公榮さんが1967年8月6日生まれで、現在54歳です。幼い時からラグビーをしていた今村公榮さんはラグビーの強豪である花園高等学校に入り、その後専修大学へ。社会人になってからもラグビーを続けるなど、ラグビー漬けの日々を過ごします。結局29歳までラグビーを続けてきた一方、自らを負け組と称する今村公榮さん。同級生は日本代表になり、自らはケガで試合には出られず。現在スカウターとしてボランティアながら専修大学に携わる今村公榮さんは、同級生である監督よりも仕事で負けたくないという強い気持ちを持っています。福岡県久留米市を中心に不動産業を展開する西日本産業株式会社の二代目になった今村公榮さん、ラグビーでの経験を社員教育や経営にぶつけています。

 

不動産コンシェルジュ

西日本産業株式会社では不動産コンシェルジュ日本一をコンセプトにかかげ、日々仕事をしています。地場産業でもあるため、50年の歴史から長年お世話になっているお客さんも多く、その人たちに報いるものを提供していかなければいけないからこその不動産コンシェルジュ日本一というコンセプト。父親が積み重ねてきたものを自分で壊すわけにはいかないという気持ちも出ています。

 

女性活躍ができる職場

西日本産業株式会社は久留米市雇用優良事業所としての表彰を受けています。女性労働者活躍推進事業所として選ばれたもので、半数以上女性が働いていることもポイントになったようです。管理職が7人いる中で女性が4人、そのうちの1人は取締役と部長を兼任するなど、明確に女性が活躍できる環境を作り上げています。その一端として、学歴や性別などに一切こだわらず、仕事への姿勢と能力で判断し、残業をする際にはリーダーも残るようにしたことで改善が進んだのだとか。不動産業の休みはなかなかとれない中で劇的に増やせたのも今村公榮さんの功績です。より働きやすい職場を目指してほしいところです。