株式会社ゼンシン前田忠嗣

「指導者の成長そのものが子供たちの成長につながる」という考えで、教育事業を展開されている前田社長。すべての人がお互いを尊重し認め合う社会を形成し、障がい者も健常者も共生できる社会を実現するため、サッカープログラムや就労支援も行っていらっしゃいます。すべての人が自分らしく生活でき、それぞれの人がそれぞれのハピネスを見つけられるように、前田社長は今日も熱い想いで励まれています!

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東京オリンピックパラリンピックが無事に終わり、障害者がイキイキとスポーツに打ち込む姿に多くの人が感動しました。一方で障害者も健常者も一緒に連携して過ごせる社会を目指そうとする動きも出ています。サッカーを通じて障害者と健常者が一緒に手を取り合って生きていくことを目指しているのが株式会社ゼンシン、代表取締役の前田忠嗣さんです。

 

前田忠嗣さんの経歴

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前田忠嗣さんは、1969年10月29日生まれで現在52歳です。子どもの時から社長になりたいと思っていた前田忠嗣さん。実家が農家で、酪農学園大学に通いながらも、社長になりたいという夢をかなえるために家を継がず、学生時代に学習塾のアルバイトをしており、そこでの成績が認められ、そのまま学習塾の社員に。26歳の時に学習塾を開業すると、その直後あたりにサッカー熱が高まってきたため、サッカースクールを始めることを決めます。サッカースクールに人気が集まったことを受け、学習塾は諦め、サッカースクールに一本化。その時、障害を抱えた人物を雇用。身内に視覚障害を抱えた人はいたものの、その他の障害は全く詳しくなく、特に発達障害に関して、サッカースクールのカリキュラムを活用して子どもたちの療育につなげられないかと考え、普段小サッカースクールとは別に、発達障害の子を対象にしたスクール、放課後デイサービスを設置するなど、地域に根差した活動を行っています。

 

障害福祉事業を始めるきっかけ

1996年に学習塾、その数年後にサッカースクールを始めた前田忠嗣さんでしたが、障害福祉事業を始めたのはそれからかなり後のことでした。きっかけは東日本大震災。福島を中心に放射線量が高く、外で遊ぶことすらできなかったのです。これにより、会員は3分の1まで減少。何かすることはないかと考えた時、発達障害を抱えた子供たちの支援をしたいと考えるようになります。

 

2026年にIPOを目指す

株式会社ゼンシンは2026年をメドにIPOを目指し、資金調達などを行って規模拡大を図っていくことを考えているそうです。最近ではサッカー元日本代表の平山相太さんが参加するなど、株式会社ゼンシンはサッカーを通じた療育で知名度を上げていく状況です。発達障害に苦しむのは子どもだけでなく大人もそうで、生きにくさを感じながら生活する人も多いです。それを打破できるかどうか、前田忠嗣さんの活動にかかっています。