青山メインランド社長西原良三が会社を大きくできた訳は?30年間を振り返りご紹介。

株式会社青山メインランドは、首都圏を中心とするマンションデベロッパーです。毎年2桁以上の成長を続け、2018年度には売上高が400億円に到達、経常利益も20億円を突破し、業績をあげ続けている会社が株式会社青山メインランドです。その代表取締役社長が西原良三氏です。

shachomeibo.com

分譲用マンションなど、マンションの世界は基本的に財閥系が上位を占め、新興企業は上位に食い込むことは大変と言われています。そんな中、投資用マンションにおいて関東圏で強さを誇る不動産業者が存在します。

それが株式会社青山メインランドです。マンションデベロッパーとして30年以上活動をし続け、売上高は400億円を突破、複数の会社に分社化しており、青山メインランドグループが形成されようとしています。
1988年に創業された株式会社青山メインランドを裸一貫から一代で築き上げた人物が、代表取締役社長の西原良三さんです。株式会社青山メインランドはなぜ成長したのか、なぜ多くの人々に支持されているのか、明確な理由がそこにはありました。

青山メインランドとはどんな会社か

西原良三

首都圏を中心に活動している株式会社青山メインランドですが、最初は有限会社として設立され、その2年後に株式会社化します。この時期から不動産業界は相当な苦戦を強いられ、バブル崩壊で大きな痛手を受けました。
青山メインランドも当然その煽りは受けますが、倒産には至らず、順調に成長を続けていきます。1995年にはマンションの供給戸数が1000戸を突破し、1998年には年間の売上高が100億円を突破しました。

その後も着実に成長を続けますが、日本の不動産業界に激震を与える出来事が起こります。それがリーマンショックです。サブプライムローンを利用し、返済能力に乏しい人にもローンを認め、不動産バブルを作っていったアメリカですべてが崩れたことで、全世界で世界恐慌のような大ショックが起こってしまうのでした。
また、この数年後に東日本大震災も発生、関東圏でも影響はあったため、青山メインランドでも相当な問題があったはずです。しかし、こうした逆境すら乗り越えていくのが青山メインランド、西原良三さんのすごいところです。投資用・分譲用それぞれのマンション供給をし続け、急成長を日々続けているのです。

「あなたの大切なもの 大切にしたい」という企業理念

西原良三

1988年の創業当時から変わりなく存在する企業理念が存在します。それが「あなたの大切なもの 大切にしたい」です。この基本理念に基づく形で、マンションの供給、販売、販売後のアフターケアや新たな投資用物件や、物件オーナーたちの集まりなど様々な部分に配慮して、お客様ファーストを貫いていくのが青山メインランド、西原良三さんの行動指針にもなっています。

こうした行動指針は投資用マンションにおける家賃にも反映されています。投資用マンションの家賃が高ければそれだけ利回りもいいですが、家賃が高い分、そこに対する不満も抱きやすく、定着するかどうかは微妙なところです。
そして、投資用マンションの家賃相場は実際の賃貸住宅の家賃相場と乖離する部分もあるようで、メーカーによっては10%も高く設定されているところも。
一方、安過ぎれば借りる側からすれば良心的ですが、利回りを確保できるかどうかは微妙です。相場とほとんど変わらない方が良心的であり、青山メインランドはそれができています。

青山メインランドを支える社員たち

西原良三



西原良三さんが掲げている「あなたの大切なもの 大切にしたい」という企業理念。この場合の「あなた」は投資用ないしは分譲用マンションを購入するお客様を想定していると誰しもが思うことでしょう。

もちろんその意味合いで間違いではありませんが、実は社員もこの中に含まれていることはご存じでしょうか?社員を大切にしてしっかりと育てていく、それが青山メインランド、社長の西原良三さんの考えです。

そのため、社員はイキイキと働き、前向きな考えを持って働けています。こうした姿勢を作りだしたのは徹底した教育、人材育成にあると言えます。

青山メインランドは社員を教育していくことに相当熱を入れている会社で、不動産業界で働く上で必要不可欠な宅地建物取引士、いわゆる宅建、投資用マンションの販売を行う上で説得力が変わってくるファイナンシャル・プランナー、通称FPなどの資格取得を奨励し、これらの研修を青山メインランドの就業時間の中で受けることができます。

こうした社員教育の制度を「青山アカデミー」と命名し、仕事に直結するスキルを磨いてほしいという考えを持っています。
スキルアップを図ることができれば、よりよいものを提供し続けることができ、機会損失を発生させずに済みます。

そして、青山メインランドでは人材育成にも力を入れています。新人研修は同期での合宿研修などから始まり、同期で連携をとり、戦友として励まし合えるような環境を会社が整えていきます。不動産業界の営業はとにかく大変で、社員同士の連携が必要な場面も出てきます。
青山メインランドでは人と人とのつながりを大変重視しており、研修だけではなくて、様々なレクリエーションも準備しているのが特徴的です。

会社の仲間とスポーツで楽しむ、バーベキューでエンジョイすることはもちろん、会社全体が大家族のような雰囲気で仕事に取組み、見守ることができるのも青山メインランドらしい部分です。
どこまで西原良三さんの考えが及んでいるかはわかりませんが、きっと西原良三さんは細かな部分まで考えていることでしょう。

とにかく人を大事にするのが西原良三流

「あなたの大切なもの 大切にしたい」という企業理念にある通り、西原良三さんは人を大事にすることを徹底しています。

社員に対してその姿勢を徹底することができなければ、顧客、お客様に対してもそのような姿勢を徹底できないからです。
西原良三さんは、営業成績が良かった社員を連れて海外旅行に出かけるなど、努力は必ず報われるという言葉を地で行くようなことを考えています。

また社会道徳に対しても力を入れており、定期的に社員が青山メインランドが管理するマンション周辺や近くの駅の清掃活動を行っています。こうした清掃活動を通じて社員は社会道徳を学ぶとともに、周辺住民から感謝される事を知って、社会人はこのようにあるべきだという学びを得ていきます。

女性を活躍させていくのも青山メインランドらしさに

f:id:pakapakablog:20210915174338j:plain

青山メインランドの女性管理職の割合は20%以上とされています。つまり、管理職の5人に1人が女性なのです。これは多いのか少ないのか気になるところですが、日本全体で見ると1割にも満たないことから、アオヤマメインランドは2倍以上の数値を記録していることを意味します。しかも、入社後3年の定着率は90%以上を誇り、すぐに辞める人が少ない会社であることがわかります。

社員、特に女性を活躍させていくスタイルは青山メインランドらしさであり、新型コロナウイルスの影響で急激に業績が悪化し、内定取り消しを余儀なくされ、路頭に迷いかねない状況になった新卒学生を中心に新卒採用の追加募集を行ったのも青山メインランドです。

やる気ある人がやる気を出して結果を残せば、それなりのポジションを与える、そんな実力主義と慈悲の気持ちを併せ持つのがこの会社の特徴であり、西原良三さんの優しさと言えるでしょう。

レーサム田中剛、コロナ禍からの巻き返しが見込める理由とは!?詳しくご紹介致します。

新たな資産価値を生み出し、収益不動産を創造して売却していくことを繰り返して売り上げを大きくさせている株式会社レーサム。富裕層向けのサービスであり、創業者の田中剛さんが半ば使命として取り組み始め、代表権がない会長に退いた後でも後継者たちがしっかりと引き継いで今に至っています。採用にも田中剛さんが積極的に関与するなど、今もレーサムに対して影響力を持っていることが言えるでしょう。

 

https://note.com/company_ceo/n/n07d53a8dddd4

 

コロナ禍の影響で多くの企業が様々な影響を受けました。影響を受けていない業界は存在しないと言われるほど、良くも悪くもコロナ禍は私たちの生活様式を変えていきました。こうした中で不動産業界も大変な思いをしてきました。その中の1つが株式会社レーサムです。コロナ禍の影響は大きく、設立30周年に向けて危機感を抱きながら経営を行っているような状況です。

そんな株式会社レーサムを立ち上げ、現在は取締役会長として見守っているのが田中剛さんです。株式会社レーサムはどのように復活を遂げていくのか、田中剛さんはこの復活にどのように関与をしていくのか、そして、田中剛さんが作りだした株式会社レーサムの文化、経験とはどういったものかをまとめて解説します。

 

コロナ禍とレーサム

f:id:pakapakablog:20211114031955j:plain

 

2021年3月期のレーサムの状況はあまり芳しくなかったと言わざるを得ません。これはコロナ禍もあって工事がうまく進まず、案件の売買など経済的な事情も重なったこともあり、全体の売り上げを大きく落とす結果となりました。ただし、レーサムがこのまま沈んでいくような会社ではありません。年度末あたりで遅れていた工事などが一気に進展を見せるとともに、レーサムが手掛けた物件を若い世代が中心となって興味を持つなど、状況は好転しているとのこと。

工事もうまくいき、テナント誘致も成功、家賃をアップさせてテナントと契約を行うなど、一気に売り上げを急回復させて少しでも遅れを取り戻すような努力をしていると株式会社レーサムの代表取締役社長である小町剛さんが声明を出しています。株式会社レーサムは株式上場をしており、株主に対する説明もしっかりと行われており、決してハッタリをかましているわけではありません。

グラフだけを見れば、売り上げは大きく下がり、営業利益もほとんどない状態になっていますが、経常利益は黒字で総資産もそれなりにある以上、レーサムのやっていることは現状正しい方向性であることがわかります。株主に対して説明を行う際の資料を見ても売り上げが大きく下がったことに対する説明がわかりやすく、原因がはっきりしている分、ただただ見守るのみという空気感につなげています。

 

レーサムが考える基本方針と長期的な考え方

不動産業界は、人口減少の中でいかに不動産のストックに折り合いをつけながら成長を目指していくかという難しい課題に迫られています。レーサムが懸念を示しているのは人と人とのミスマッチなんだとか。色々なミスマッチがある中でいかに解消させて成長に結びつけていくか、この部分が大事なようです。レーサム的に「一歩先の社会のあり方」を考えながら、顧客の人たちに未来につながる商品を提供しようとするのが基本方針です。

レーサムの創業者である田中剛さんは当初から富裕層に目を向けて商売を行ってきました。田中剛さんが一生懸命開拓を行った結果、レーサムの価格帯は10億円を超えるようなレベルになるとともに、個人の資産が数百億円を超えるような顧客を抱えるに至ります。強気に価格帯も上がり、機関投資家も注目を集めるような会社に成長していきます。不動産の取得に関しても力を入れるなど、田中剛さんが築き上げてきた方針を守りながら長期的に視野を広げている様子がわかります。

 

レーサムが掘り起こす新たな物件の魅力

f:id:pakapakablog:20211114032059j:plain

 

株式会社レーサムにとって、富裕層に向けた資産運用が経営の生命線になっていますが、近年強気に富裕層に向けた物件を開発しています。白金長者丸近辺に作られた賃貸レジデンスもその1つ。元々このエリアは高台になっており、大名屋敷があちらこちらにあったという由緒正しいエリアで、元々シェアオフィスだった場所を改修工事を経て、レジデンスへ進化させました。

また神戸にあるレンガ造のビルも大規模改修工事を行っています。このビルは築年数が100年を大きく超え、色々な災害でも倒壊することなく、ドシッと構え続けています。建造物としての評価が非常に高く、有形文化財にも指定されるレベル。このビルを長く維持しながら発展的な使われ方ができるよう、窓枠や電気系統などすべてを一新していきます。その結果、空き室は一気に減り、満室の状態になっていきます。

これらの物件は元々価値の高い物件であり、手を加えなくてもそれなりの価値がありました。しかし、少し手を加えることでよりポテンシャルの高い状況になるだけでなく、何十年先まで愛され続ける存在になっていく可能性を秘めています。1つ1つの案件は難しい案件かもしれませんが、田中剛さんが一生懸命コツコツと物件と向かい合ったように、社員たちも同じように取り組んでいることから、これらの物件が人気を集めるようになったということです。

 

レーサムの未来を田中剛さんが握る

f:id:pakapakablog:20211114032136j:plain

 

レーサムの未来を考える中で、田中剛さんが握っているといっても過言ではありません。取締役会長ではあるものの、代表権は社長が握っており、すべてを指図できるわけではないでしょう。にもかかわらず、田中剛さんが未来を左右するのはなぜか。その理由は採用にあります。田中剛さんが自ら採用を行い、レーサムの未来を担うであろう社員への面接に関与します。

田中剛さんは北海道で生まれ、日本大学理工学部に進学すると研究職の内定を得ながらも白衣を着る姿がイメージできず、内定を辞退し大学まで辞めてしまいます。ポテンシャルをフルに発揮するならどこがいいかを考えた時に不動産業界がいいと考え、業界に飛び込みすぐに結果を出す田中剛さん。しかし、不動産業界は今も昔も、顧客に売却したらそれでおしまい。それが嫌で退職し、レーサムを設立します。その資金となったのが経営コンサルティングで得たお金。バブル時代の絶頂を迎えていた時期に資金を蓄え、それが原動力となりました。

田中剛さんは、情熱と行動力で前向きに仕事をするほか、自らの仕事を「世直し太郎」と称するほど、社会を自分の手で立て直し、強くしたいという思いがあるようです。こうした気持ちを若手社員にも持ってもらいたい、そんな気持ちを採用でぶつけるかもしれません。

 

まとめ

株式会社レーサムはコロナ禍で一時的に売り上げを落としたかもしれません。しかし、白金のレジデンス、神戸のレンガ造のビルはコロナ禍に進行していた案件であり、他にも付加価値をつけて開発を行っていた物件がどんどん出てきています。少しでも遅れを取り戻すために急ピッチで頑張るという姿勢は本当でしょう。そして、田中剛さんは別の会社の代表取締役会長として見守りながら、レーサムグループを担う社員の成長を見届けていきます。

ユニテックシステム株式会社渡辺正憲

創業から30年以上の技術蓄積のあるITに特化した情報サービス業及びパッケージ開発の販売をされている同社。企画から制作、運用・サポートまでをワンストップで提供できるため、「単なる開発会社ではないんです!」と渡辺社長は語ってくださいました。そんな熱い想いを持った渡辺社長がいれば、これからのIT業界ひいては日本の企業をますます変えていってくれることでしょう!

https://shacho-chips.com/shacho/m-watanabe

 

ITサービスはここ最近で発達しましたが、サービス自体は昔から存在します。システムを開発し、便利にさせていくのがITサービスのいいところです。創業から30年以上、ITサービスを手掛け、世界にも打って出ようとしているのがユニテックシステム株式会社、代表取締役社長は渡辺正憲さんです。

 

渡辺正憲さんの経歴

f:id:pakapakablog:20210919102930p:plain

渡辺正憲さんは1959年3月3日生まれで現在62歳です。26歳の時に現在の会社を起業したという渡辺正憲さん。ハードとソフトの融合を目指して会社を立ち上げたものの、当初は大手の下請けを担当。順調だったときは良かったものの、景気が悪くなると下請けの受注をとれなくなり、仕事がなくなる危機的な状況に追い込まれます。ブランディングは大切だと悟った渡辺正憲さんは、ここから誰も手をつけていない新たなビジネスを行おうと決断、それが人材派遣業界へのサービス展開。人材派遣業界におけるシステムシェアがトップになり、危機を脱します。どんなことでもやる!と言わんばかりの前のめりな姿勢は、積極的な行動のたまものです。

 

「Navi」シリーズ

ユニテックシステム株式会社における事業内容でとても有名なのが「Navi」シリーズです。勤怠管理や給与管理など派遣会社にとって必要不可欠なシステムを網羅、一括管理が行えるというものです。様々な法律改正に合わせてバージョンアップを重ねているほか、「Navi」シリーズを導入しているクライアントの要望に合わせてカスタマイズすることもあり、80社以上のユーザーがカスタマイズをして使っているのだとか。単に業務改善につながるシステムを作ったのではなく、売上アップにもつながるようなものを作り上げたのが「Navi」シリーズです。要望だけで年間数千件もある中で、どんどんバージョンアップをしていくフットワークの軽さが特徴的です。

 

家族よりも仲間への思い

社長チップスでは、大切な人に伝えたいという項目がありますが、家族に対してはとてもそっけない言葉しか残していない中で、仲間に対してはかなり多めです。仲間をとても大切にしたい、社員を大切に扱いたいという気持ちが出ています。最近はチャレンジ精神にあふれた日本人が少ないと嘆く渡辺正憲さん、社内ではそんな嘆きを必要としないほど、チャレンジ精神にあふれた社員たちに恵まれているようです。

株式会社ユーエスエス與良剛

40年以上に渡り、金融業界と小売・卸売業界に向けたシステム開発を行っている同社。お客様を”ファン”とし、そのファンと常に向き合う姿勢を大切にされています。これからも業界におけるオンリーワンと専門性を持ったシステム開発集団を作っていくべく、與良社長は熱い想いで活動されています!

https://shacho-chips.com/shacho/g-yora

 

小売業にとってレジはとても大事なものです。近年キャッシュレス化に伴い、様々な電子マネーの登場によって現金しか使えない店よりも様々な支払方法を用意する店の方に需要が集まるような時代も訪れるかもしれません。iPadを活用したPOSレジシステム、眼鏡屋専用のレジなど小売り業などのシステム開発を行っているのが株式会社ユーエスエス代表取締役社長は與良剛さんです。

 

與良剛さんの経歴

f:id:pakapakablog:20210919102743j:plain

與良剛さんは1978年6月20日生まれで現在43歳です。野球一筋だったという與良剛さん。中学生の時は日本代表としてメキシコに行くなど着実に結果を残していきます。法政大学を卒業後、株式会社SRAに就職し、営業活動に専念。とてもハードな営業を強いられる中、野球で培った姿勢を崩すことなく、営業マンとしての爽やかさを保ち続け、出世を続けます。そんな中、父親が創業した株式会社ユーエスエスを継ぐことになったのは2013年のことでした。2010年に立ち上げたクラウドサービスがなかなか結果を出せず、その立て直しを與良剛さんが担った形に。結果的にモノになったのは2018年のことでした。以降、クラウドサービスを中心に会社を立て直し、今に至ります。

 

メガネのレジとは

様々なレジサービスを展開している株式会社ユーエスエスですが、その中に「メガネのレジ」というシステムがあります。メガネの小売店ではメガネの在庫などがリアルタイムで確認できない問題があるのだとか。色々と手間暇がかかるメガネ屋において、購入してすぐにお客様情報を打ち込んで、顧客が離れていくのを防ぐ仕組みを設けるなど、競争に勝つためのサポートを行ってくれます。

 

低めに付けた項目とは

社長チップスにおける自己採点をチェックしてみると、満点をつけた項目がある一方、いくつかのポイントでは低めにつけています。中でも知力や見た目・容姿、継続力などで点数が低い與良剛さん。特に女子力は0点に設定するなど、アスリート出身の経営者にありがちな、全てにおいて自信満々という感じではありません。カリスマ性も5点にしており、あまりカリスマ性があるとは思っていない與良剛さんですが、父親が創業した会社を引き継ぎ、会社を大きくさせたわけですから、十分カリスマ性はあると思われます。

株式会社ライフサポート古賀真人

保険の代理店として、お客様一人一人に寄り添って最適な提案されている古賀社長。「保険のトータル」ではなく、「全体的なトータル」で話ができることが強みとのことで、より人生を楽しんでもらうために、何かしらの役に立ちたいと話してくださいました。とにかく楽しむことを意識していて、趣味の格闘技でもいろんな方とコラボしたりと、常に全力な古賀社長。これからもその熱い想いを持って、お客様にも寄り添い続けてくれることでしょう!

https://shacho-chips.com/shacho/m-koga

 

保険の業界は金融業のようなものであり、マジメな印象を持つ人が少なくありません。一方で保険業と別にユニークなことを行い、会社の業績を上げるケースもあります。保険業とエンタメ業という一見すると相いれないサービスを展開しているのが株式会社ライフサポート、代表取締役社長は古賀真人さんです。

 

古賀真人さんの経歴

f:id:pakapakablog:20210919102547j:plain

古賀真人さんは1978年11月11日生まれで現在42歳です。保険の営業マンをしていたという古賀真人さん。しかし、保険の営業マンの特性なのか、保険の営業マンを続ける人が非常に少ないことを問題視します。何かできることはないかと考えたものの、保険以外の世界ではどのような動きをしているのかを知らない限りはこの状況は打破できないと考えます。そして、保険にとらわれずにお客さんにとっていい提案をしたいと考え、独立しました。

 

なぜ格闘技だったのか

古賀真人さんはHATASHIAIという格闘技イベントを3ヶ月に1度開催しています。保険業の会社がなぜ格闘技なのか、そこにはいくつかの理由があります。その1つは自分たちにしかできないことを探し求めた結果。保険業はサービスで大きな差をつけることは非常に難しく、いかに付加価値を付けるかが大きな焦点になります。サービスはもちろん、情報や人脈の提供を心掛けており、金融的な知識以外の情報を提供できるようにしてきました。自分たちにしかできないこと、オリジナルな施策をやっていきたい、古賀真人さんがそのように考えた中で出てきたのがHATASHIAIでした。未経験者が行う格闘技をコンセプトに展開し、人気を集めます。

 

はっきりとした評価の差

社長チップスにおける自己採点では、かなりはっきりとした差が出ています。10点にしているところもかなりある一方、5点にしているところもあれば、1点、しまいには0点にしている部分も。特に女子力を0点にするなど、エンタメを手掛ける古賀真人さんらしさを感じさせます。自虐的になっている部分もある一方、マジメなところでは10点をつけており、なんでもかんでも10点にしてしまう経営者とは明らかに一線を画しています。保険とエンタメ、全く相いれないであろうイメージだからこそ、面白おかしく融合させて興味を持ってもらう、古賀真人さんの仕掛けたエンタメにどれだけの人が乗っかるかにも注目です。

株式会社Dエンタープライズ進藤大五郎

21歳でお父様と起業されたそうですが、「業界課題を変えていきたい!高校生を中心とした若者に魅力を伝えたい!」とアツい想いがひしひしと伝わってきました。全てのモノに感謝し、真っすぐな愛を持つ進藤社長。引越業界から、世界を変えてくれることでしょう!

https://shacho-chips.com/shacho/d-shindou

 

年明けから年度末にかけて目まぐるしく動き回り、毎日稼働する商売があります。それが引っ越し業です。この時期の引っ越しは引っ越し代がかなりかかり、相当な費用がかかると言います。そんな引っ越し業界に新風を巻き起こそうとしているのが「ダイちゃんの引っ越しサービス」。このダイちゃんの引っ越しサービスを展開するのが株式会社Dエンタープライズ代表取締役社長、進藤大五郎さんです。

 

進藤大五郎さんの経歴

f:id:pakapakablog:20210919102349j:plain

進藤大五郎さんは、1983年1月30日生まれで現在38歳です。高校時代は水球に熱中、インターハイにも出場したことがある進藤大五郎さん。燃え尽きた部分もあったのか、大学に通う必要性を見失った時、訪問販売の仕事に出会います。その仕事の経営者に憧れを持ち、この人みたいになりたいと思ったのをきっかけに大学を辞め、父親と一緒に起業します。とはいえ、社会人経験がゼロ、年上の部下に対する扱いに慣れておらず、苦戦を強いられます。ただ当時高校生だったバイトが他で経験を重ねた後に戻ってくるようになり、会社が安定、以降、成長を続けています。

 

経営で大切にしていること

進藤大五郎さんが経営で大切にしていることは、国籍や障害など様々な問題を抱え、大変な思いをしてきた人であっても仕事に携われるようにしたいという気持ちです。例えば年齢に関しても、年齢を重ねると一生懸命働くにしても身体が動かなくなってしんどい思いをする人も多いはずです。年齢を重ねた人でも働けるようにする、そのための考えを色々と練っています。

 

いずれは関西を飛び出したい

尼崎や大阪などを引っ越しエリアとするダイちゃんの引っ越しサービスですが、今後会社の規模を広げていく中で尼崎だけをエリアにするのは狭すぎるため、今後は京都や奈良など監査エリア全域だけでなく、関東など他のエリアへの出店も検討しているのだとか。また進藤大五郎さんは一流のアスリートなどを対象にしたVIP引っ越しが面白いかもしれないと構想を語ります。引っ越しには無数の可能性があり、経歴に関係なく引っ越し業界に挑む人たちにチャンスを与えたいという夢も語っています。引っ越し業は中小が多く、たびたび値下げ競争に追い込まれていきますが、いかにお客さんに喜んでもらえるか、進藤大五郎さんの挑戦はこれからです。

穐田誉輝、くふうカンパニー会長の理想的な会社とは?起業までの道のりをご紹介。

みんなのウェディングやオウチーノ、Zaimなど、ライフステージの変化にすぐさま対応する会社をいくつも束ねている株式会社くふうカンパニー。

株式会社くふうカンパニーで取締役会長の座に就いているのが穐田誉輝さんです。穐田誉輝さんといえば、カカクコムやクックパッドの経営に携わるなど、エンジェル投資家として活躍する人物です。

ceo-business-company.com

穐田誉輝さんはカカクコムやクックパッドといったベンチャーっぽさがあった企業に出資を行い、自らが経営者となって会社を大きくしていきました。
しかし、起業というわけではなく、初めて起業という形で結果を見せ始めたのがみんなのウェディングやオウチーノ、Zaimなどを束ねるくふうカンパニー。

株式会社ロコガイドを立ち上げて軌道に乗せると。2021年10月にはこの2社を経営統合させ、新生くふうカンパニーを誕生させます。
穐田誉輝さんの人生は失敗と成功が入り混じる、まさに波乱万丈な人生でした。
そして、これからも荒波にもまれていくことが予想されますが、穐田誉輝さんのこれまでと新たな野望をチェックしたいと思います。

穐田誉輝が力を蓄えていた時期

f:id:pakapakablog:20210915175449j:plain

エンジェル投資家、働く株主など様々な肩書を持っている穐田誉輝さんですが、1969年4月29日生まれです。千葉県出身で、1993年に青山学院大学経済学部を卒業しています。

バブルは既に崩壊しており、これから冬の時代が訪れようとしていた時代でしたが、それでも会社で働き、年功序列の中で頑張りたいと思っていた若者は多かったかもしれません。
そんな中で穐田誉輝さんは、まだまだ会社への帰属を意識する若者が多かった中で起業を考えていました。
このため、どこに就職するかという選択肢はいずれも起業をする上でノウハウを得られるかどうかというものでした。

最初に入った株式会社ジャフコは、ベンチャー投資を行う企業のパイオニアとして業界では知られた存在です。
ここで穐田誉輝さんは人脈作りや投資の考え方などを学びます。数年働いたのちに、株式会社ジャフコを退社すると株式会社ジャックへ。
この株式会社ジャックは実業の会社でしたが、実業の経験などを重ねていきたいという想いがあったようです。ジャフコでは株式上場、株式公開を経験し、起業家になるための素養を身につけていきました。

穐田誉輝初めての起業

こうして起業するためにどのようなことをしていくべきかを学んだ穐田誉輝さんは、ジャフコ時代にお世話になった頼れる先輩と共に、株式会社アイシーピーを設立、ベンチャー投資の会社を興します。

先輩だけでなく、穐田誉輝さんもまたベンチャー投資の世界では有名な存在で、会社立ち上げに際して数十億円の資本が集まり、高い期待を集めました。その高い期待に応えるかのように株式会社アイシーピーでは、年間の利回りがなんと30%を超える破格の運用実績を残しています。

こうした原動力となったのがカカクコムの存在です。当初はパソコンなどの価格がどのようになっているか情報を提供するサイトでしたが、カカクコムのシステムに穐田誉輝さんは衝撃を受け、出資を決断します。

いくらシステムはよくても、アイシーピーの出資金の多くを注ぎ込むのは大丈夫だろうかと心配される中で、自らがカカクコムの経営者となっていきます。
カカクコムは家電製品や当時流行し始めたブロードバンド、自動車保険の見積もりなども加わり、大成功をおさめ、株式上場へとつなげていきます。この株式上場を見届けるかのように穐田誉輝さんは社長を退任します。

本格的な経営者デビューを果たしたカカクコムにおいて、穐田誉輝さんの持論である「会社はビジネススクール」という考えを実践しており、社員にそれを奨励していました。

給料以上の活躍をしてくれれば会社をうまく利用してくれていいという考えを持ち、会社内で起業が行えるような仕組みも作り上げていきます。カカクコムはのちに「食べログ」というサービスが登場し、価格.comだけではない柱を作り上げました。

穐田誉輝さんは「趣味は比較」と公言するほど、いくつかのモノで比較検討をすることが好きな人物ですが、「食べログ」の誕生は穐田誉輝イズムの現れなのかもしれません。

クックパッドでの挫折と

f:id:pakapakablog:20210915175430j:plain

カカクコムの社長を退いた穐田誉輝さんに、多くの企業から声がかかるようになります。そして、穐田誉輝さんが、これはいい!と思った会社がクックパッド株式会社です。

クックパッドといえば自分が作ったレシピをネット上にアップロードできるサイトで、この仕組みに穐田誉輝さんは感動し、社外取締役に就任。穐田誉輝さん自らもクックパッドを使うなど、サービスのチェックを進めていき、創業者にその姿勢を買われ、社長になります。

穐田誉輝さんはクックパッドに様々な機能を付属させようと会社の買収を行うなど積極的な姿勢を見せ、会社を成長させます。しかし、創業者と穐田誉輝さんの方針が徐々に合わなくなっていき、結果的に穐田誉輝さんはクックパッドから身を引くことになってしまいます。
穐田誉輝さんからすれば大きな挫折だったことは言うまでもありません。しかし、ここでの経験がこの後活かされることになります。

リベンジを誓う穐田誉輝

クックパッド時代にやったことは決して間違いではなかったとばかりに、穐田誉輝さんはクックパッドでやりたかったことを具現化しようと奔走します。それが株式会社オウチーノや、みんなのウエディングの買収です。

株式を過半数握り、のちに誕生する株式会社くふうカンパニーの傘下に組み込んでいきます。特定の分野のポータルメディアを作っていこうと穐田誉輝さんは考えたのです。この一環として株式会社ロコガイドもあります。

株式会社ロコガイドはトクバイと呼ばれる、折り込みチラシを閲覧できるサービスを展開してスーパーマーケットのお得情報がチェックできるようにしました。生活に密接したサービスを多く展開し、2021年10月には経営統合するなど、ポータルメディアとしての力をかなりつけている状況です。

穐田誉輝の新たな挑戦

f:id:pakapakablog:20210915175408j:plain



新型コロナウイルスの影響でテレワークで出勤するケースが増え、地方在住者でも東京での仕事ができる状況になっています。近年、都心の企業が地方へ進出し、サテライトオフィスを構えるケースも出てきました。このことに関して穐田誉輝さんは「大賛成」と述べます。

東京への一極集中時代があまりにも長すぎて、もはや東京で働く必要はなくなったと語ります。
また穐田誉輝さんは地方で働くメリットとして、自然環境のいいところで働けてしかも物価が安く、過ごしていく上でとてもいいことを挙げており、時間にとらわれずに働けることの大切さをピックアップしています。

東京にいようとも地方にいようと平等にビジネスチャンスが訪れる時代がやってくることを語り、穐田誉輝さん自らも地方に拠点を構えることに興味を持っています。起業家支援を行い、将来的には地方への進出も検討しているあたりが、穐田誉輝さんの先見の明と言える部分かもしれません。ロコガイドでは地方自治体と連携してサービスを展開することが多かった中で、今後どのような動きを見せるのか、要チェックです。